時間が止まる。それは完全に静止した一瞬だった。 「ねえ、ユキ……」 そして隣の男を窺ったときに、止まっていたはずの時間が確実に、もう一度止まった。 暗い部屋だった。カメラのフラッシュにお気をつけください、そんなテロップに目を逸らして百はかすかに心を慰めて、でも千はきっと正面から画面に目を釘付けにされたままだ。もう確かめなくてもわかる。 「……なんて言った? 今」 「モモ、万が」 「わかってるよ。でも、あんた、これ見て最初に、なんて言ったの」 「え、……覚えてない、何?」 「あっ、そ……」 白々しく疑問の念を浮かべる千の瞳に脳が溶けた。ありふれた事件だった。三日もしないうちにきっと見なくなる。アイドリッシュセブンの子たちが心配だった。気を逸らすために大袈裟に胸を痛めた。目まぐるしい世界だ、きっと風化はする。親しい大人だとしても、メンバーではなく一介の事務員だ。数え切れない月日を過ごした後に、そんなことあったなと言える日がきっとくる。あの子たちには。 きっと百たちには二度と来ないであろう、そんな日が。 「ユキが殺ったの」 端的な言葉しか百にはもう扱えなかった。きっとそっちの方が千にも都合がいいだろうと適当な言い訳を付ける。珍しくアルコールを入れていない夜だった。こんな散々な夜を忘れなくて済むなら、少なくとも百はそれを幸福と呼ぶ。 「……どうして、そう思うんだ」 「誤魔化すの下手だね。かわいい」 乾いた口付けだった。このひとと交わしてるとは信じられないほどだった。愛してるとこの耳に何回だって囁いたことがある。今だって愛してる。誓っても良かった。今この瞬間に。そうして浮かべる千の表情が百は知りたい。 「そのまま、ずっと下手でいて。ねえ、あんたが殺って、バンさんが埋めた。それで合ってる? あんたがさっき言った言葉の意味は」 「ちがう」 「嘘ついてどうすんの。なんか策でもあんの?」 「……モモ、違うんだ」 「違う、違うっていうのは、どこから。ユキは人を殺してない? バンさんが死体遺棄で逮捕されたのは悪い夢?」 「……それは」 「オレの隣でこんなニュース見かけてさ、僕を置いていくな、って、他の男に向けた声を恋人から聞いて、オレの時間が止まっちゃってんのも、そういうのも全部、違う?」 「モモ」 「良かった、違うなら、良かった」 そんなことしたくないのに百は千の肩口に縋りついて涙を流している。 「ねえ、でも、嘘なら今すぐ嘘って言えよ。あとから嘘だって手のひら返されたら、その瞬間にあんたの首掻き切っちゃいそうだ」 「……ごめんね、モモ、ごめん」 「ねえ、違くないよね」 「ごめん、モモ、許して、ごめん」 「許さないよ。何言ってんの、馬鹿じゃないの」 ✧✧✧ 「……ッ」 止まった時間が動き出す。感覚はさながら電気ショックを施された人間の心地だった。 「ユキ、……大丈夫?」 「……モモ」 「顔、真っ青だよ。まあオレもか。……ああ、信じらんない」 言っても仕方のないことを呟いた。殺人、死体遺棄、の文字が画面から消えたあともこびりついてその位置に見える。ユキの手のひらが隣から伸びてオレに縋った。さっきと逆だ。さっきっていうのは、ほんの一瞬だけ見た夢のようなもので、疲れたときは時折こんな幻じみたものに脳を乗っ取られることがある。懐かしかった。特段酷かったのは確か、五周年の頃だ。 「どうしよう」 「……どうしよう、か」 冷たい指はオレの思考まで届いて穴を開けて風を届ける。なにも出来ない。捕まる前ならまだしも、あとなら、どうにもならない。そのことを、どう伝えたらいいのか必死に考えていた。でもすでに焼け野原のように爛れてしまったこのひとの心に、どんな刃物を突き立てたって別にもう刺さらないような気もした。──別にそんなことしたい訳じゃなくて。 そうじゃなくて。 「オレたちが関わってるのかな」 オレらしくもなく、口に出してからその推論を吟味した。何も知らない、はずのオレが、ショックを受けながらもユキを慮って出した言葉、としてそれらが正しいのか、どうか。 「どういうこと」 「いや……だって、おかしいよ」 踏み外しちゃいけない。このひとを不安にさせちゃいけない。傷は抉らないようにやさしく消毒して庇って護って、一度ならず二度までも空いてしまったその穴はまたオレが埋めればいい。きっと五年前よりはうまくできる。 「バンさんは、人を殺すほどなにかを憎める人でも、殺さなきゃいけないほど窮地に追い込まれるような事態に陥る人でもないでしょ」 「ああ、……そうね」 翳った表情に気付かない健気なオレは、だよね、と素知らぬ顔で相槌を打つ。 「誰も知らないところでバンさんが何かをダシに脅されたり圧力をかけられたりして、それで……って考える方が自然だ。そのダシはまあ、アイナナちゃんたちとも考えられるけど、オレたちはそれよりもうまいだろ、単純に」 彼の唇がわなないている。可哀想に。温めたくて指を握る。懺悔を望んでいるその首を、望むなら今すぐにでも絞めて楽にしてやれるのに。オレはそのあとこのベランダから飛ぶからさ、そしたらおんなじ地獄で会えるかな。 「……僕が、……した」 うん、と疑問形でオレはユキの爪を見つめる。薄暗くてもわかるくらいぴかぴか綺麗に輝いてる。オレもそのうち塗り直してもらわなきゃ。ドラマの撮影が挟まるからそのあとで、来週の音楽番組に間に合うように。 「僕が殺した」 どうやらひとを殺めてしまったらしいこのひとの隣で、気持ちよく笑うことができるように。 「……ユキ、が?」 「ああ。万には、手伝ってもらっただけ」 ごめんと頭を垂れている。長い髪が肩から落ちる。背中に手のひらを乗せたら、さっきと違って温かくて胸が冷える。 せっかくの表情がよく見えない。そんな中途半端に、傷つけないでほしい。 「モモは何も悪くない。万も。全部僕のせいなんだ。……ごめん」 「ああ、そう……」 「どうしよう」 オレなら十五年かけてもできないような告白と懇願をものの十分で吐き出してしまうこのひとをやっぱり違う人間だと実感した。同時に痛いほどわかる。そう縋らずにはいられない気持ち。 「僕が名乗り出たら、そうして手錠をかけられたら、あいつの罪は軽くなるだろ」 「それはわかんないよ」 「わからな、くても、そうなるかもしれないなら僕は行かなきゃ」 「駄目」 ユキの力は強かった。それでも勝てずにオレの元を去れないこのひとが哀れだった。ユキは一生こうなんだろうか。これから先ほかの誰かをオレより優先させようとしたこんなタイミングで、オレに閉じ込められちゃえばこのひとはもう二度と出られないのだろうか。 「なんで? モモ」 だって、オレはどうなるの。 たしかにそう言おうとしたはずだった。なのに呪われたみたいに喉が空気を通さない。 「オレのこと、置いていかないでよ」 都合よく響くことを願っていた。そしてそれが通っただけの話だった。 「モモも、協力してくれるってこと?」 真っ暗闇にこぼれ落ちた光を壊さぬようてのひらで掬うようにそうつぶやく彼を目の当たりにするのは、オレにとって初めてのことじゃない。 2025/06/14(Sat)
時間が止まる。それは完全に静止した一瞬だった。
「ねえ、ユキ……」
そして隣の男を窺ったときに、止まっていたはずの時間が確実に、もう一度止まった。
暗い部屋だった。カメラのフラッシュにお気をつけください、そんなテロップに目を逸らして百はかすかに心を慰めて、でも千はきっと正面から画面に目を釘付けにされたままだ。もう確かめなくてもわかる。
「……なんて言った? 今」
「モモ、万が」
「わかってるよ。でも、あんた、これ見て最初に、なんて言ったの」
「え、……覚えてない、何?」
「あっ、そ……」
白々しく疑問の念を浮かべる千の瞳に脳が溶けた。ありふれた事件だった。三日もしないうちにきっと見なくなる。アイドリッシュセブンの子たちが心配だった。気を逸らすために大袈裟に胸を痛めた。目まぐるしい世界だ、きっと風化はする。親しい大人だとしても、メンバーではなく一介の事務員だ。数え切れない月日を過ごした後に、そんなことあったなと言える日がきっとくる。あの子たちには。
きっと百たちには二度と来ないであろう、そんな日が。
「ユキが殺ったの」
端的な言葉しか百にはもう扱えなかった。きっとそっちの方が千にも都合がいいだろうと適当な言い訳を付ける。珍しくアルコールを入れていない夜だった。こんな散々な夜を忘れなくて済むなら、少なくとも百はそれを幸福と呼ぶ。
「……どうして、そう思うんだ」
「誤魔化すの下手だね。かわいい」
乾いた口付けだった。このひとと交わしてるとは信じられないほどだった。愛してるとこの耳に何回だって囁いたことがある。今だって愛してる。誓っても良かった。今この瞬間に。そうして浮かべる千の表情が百は知りたい。
「そのまま、ずっと下手でいて。ねえ、あんたが殺って、バンさんが埋めた。それで合ってる? あんたがさっき言った言葉の意味は」
「ちがう」
「嘘ついてどうすんの。なんか策でもあんの?」
「……モモ、違うんだ」
「違う、違うっていうのは、どこから。ユキは人を殺してない? バンさんが死体遺棄で逮捕されたのは悪い夢?」
「……それは」
「オレの隣でこんなニュース見かけてさ、僕を置いていくな、って、他の男に向けた声を恋人から聞いて、オレの時間が止まっちゃってんのも、そういうのも全部、違う?」
「モモ」
「良かった、違うなら、良かった」
そんなことしたくないのに百は千の肩口に縋りついて涙を流している。
「ねえ、でも、嘘なら今すぐ嘘って言えよ。あとから嘘だって手のひら返されたら、その瞬間にあんたの首掻き切っちゃいそうだ」
「……ごめんね、モモ、ごめん」
「ねえ、違くないよね」
「ごめん、モモ、許して、ごめん」
「許さないよ。何言ってんの、馬鹿じゃないの」
✧✧✧
「……ッ」
止まった時間が動き出す。感覚はさながら電気ショックを施された人間の心地だった。
「ユキ、……大丈夫?」
「……モモ」
「顔、真っ青だよ。まあオレもか。……ああ、信じらんない」
言っても仕方のないことを呟いた。殺人、死体遺棄、の文字が画面から消えたあともこびりついてその位置に見える。ユキの手のひらが隣から伸びてオレに縋った。さっきと逆だ。さっきっていうのは、ほんの一瞬だけ見た夢のようなもので、疲れたときは時折こんな幻じみたものに脳を乗っ取られることがある。懐かしかった。特段酷かったのは確か、五周年の頃だ。
「どうしよう」
「……どうしよう、か」
冷たい指はオレの思考まで届いて穴を開けて風を届ける。なにも出来ない。捕まる前ならまだしも、あとなら、どうにもならない。そのことを、どう伝えたらいいのか必死に考えていた。でもすでに焼け野原のように爛れてしまったこのひとの心に、どんな刃物を突き立てたって別にもう刺さらないような気もした。──別にそんなことしたい訳じゃなくて。
そうじゃなくて。
「オレたちが関わってるのかな」
オレらしくもなく、口に出してからその推論を吟味した。何も知らない、はずのオレが、ショックを受けながらもユキを慮って出した言葉、としてそれらが正しいのか、どうか。
「どういうこと」
「いや……だって、おかしいよ」
踏み外しちゃいけない。このひとを不安にさせちゃいけない。傷は抉らないようにやさしく消毒して庇って護って、一度ならず二度までも空いてしまったその穴はまたオレが埋めればいい。きっと五年前よりはうまくできる。
「バンさんは、人を殺すほどなにかを憎める人でも、殺さなきゃいけないほど窮地に追い込まれるような事態に陥る人でもないでしょ」
「ああ、……そうね」
翳った表情に気付かない健気なオレは、だよね、と素知らぬ顔で相槌を打つ。
「誰も知らないところでバンさんが何かをダシに脅されたり圧力をかけられたりして、それで……って考える方が自然だ。そのダシはまあ、アイナナちゃんたちとも考えられるけど、オレたちはそれよりもうまいだろ、単純に」
彼の唇がわなないている。可哀想に。温めたくて指を握る。懺悔を望んでいるその首を、望むなら今すぐにでも絞めて楽にしてやれるのに。オレはそのあとこのベランダから飛ぶからさ、そしたらおんなじ地獄で会えるかな。
「……僕が、……した」
うん、と疑問形でオレはユキの爪を見つめる。薄暗くてもわかるくらいぴかぴか綺麗に輝いてる。オレもそのうち塗り直してもらわなきゃ。ドラマの撮影が挟まるからそのあとで、来週の音楽番組に間に合うように。
「僕が殺した」
どうやらひとを殺めてしまったらしいこのひとの隣で、気持ちよく笑うことができるように。
「……ユキ、が?」
「ああ。万には、手伝ってもらっただけ」
ごめんと頭を垂れている。長い髪が肩から落ちる。背中に手のひらを乗せたら、さっきと違って温かくて胸が冷える。
せっかくの表情がよく見えない。そんな中途半端に、傷つけないでほしい。
「モモは何も悪くない。万も。全部僕のせいなんだ。……ごめん」
「ああ、そう……」
「どうしよう」
オレなら十五年かけてもできないような告白と懇願をものの十分で吐き出してしまうこのひとをやっぱり違う人間だと実感した。同時に痛いほどわかる。そう縋らずにはいられない気持ち。
「僕が名乗り出たら、そうして手錠をかけられたら、あいつの罪は軽くなるだろ」
「それはわかんないよ」
「わからな、くても、そうなるかもしれないなら僕は行かなきゃ」
「駄目」
ユキの力は強かった。それでも勝てずにオレの元を去れないこのひとが哀れだった。ユキは一生こうなんだろうか。これから先ほかの誰かをオレより優先させようとしたこんなタイミングで、オレに閉じ込められちゃえばこのひとはもう二度と出られないのだろうか。
「なんで? モモ」
だって、オレはどうなるの。
たしかにそう言おうとしたはずだった。なのに呪われたみたいに喉が空気を通さない。
「オレのこと、置いていかないでよ」
都合よく響くことを願っていた。そしてそれが通っただけの話だった。
「モモも、協力してくれるってこと?」
真っ暗闇にこぼれ落ちた光を壊さぬようてのひらで掬うようにそうつぶやく彼を目の当たりにするのは、オレにとって初めてのことじゃない。