どんなストーリーも連れていくよ
01

 助手席に乗り込めばすでにドリンクホルダーにはコンビニで調達したらしいカップが嵌っていた。おつかれ、と百さんがマスクを下げて笑顔を向ける。この車のシートベルトを差し込むときだけは他のどの車に乗るときより新鮮で、背筋が伸びる心地がする。お疲れ様です、と俺も返す。
「映画館、人多かったんじゃない? バレなかった?」
「いや、そこまででした。声はかけられなかったし、まあ、気を遣ってもらっただけかもしれないが」
「そっかあ。オレなんかひとりで行っても絶対バレちゃうんだよなあ。まあ騒ぎにはならないから、ありがたいよね」
「オーラが違うんじゃないですか」
「虎於がそれ言う?」
 出発進行〜! と笑いながらアクセルを踏み込んだ百さんはそれからコーヒーを勧めた。自身もカップを片手に掴みながら。
「あっ。ごめん、オレの家でよかったよね?」
 行き先を省略されていたことに俺より先に気付いた百さんが心配そうに確認するから、窓を眺めながらもちろんですと返事する。でも、お互い明日が何時からなのかとか、だからどのくらいゆっくりできて、どのくらいこの時間が貴重なのかとかは、すでに擦り合わせなくてもわかっている事柄になっていた。

✧✧✧

「いらっしゃ〜い」
「お邪魔します」
 ああ寒いね、と百さんは先に部屋へ上がって、靴を脱いだ俺を冗談めかしてハグで迎えた。
「おかえりなさい、虎於さん」
「一緒に帰ってきたのに」
「ご飯にする? お風呂にする?」
「俺にするのか?」
「あーんモモちゃんの台詞取ったあ」
 ご飯先食べちゃいたいなって廊下を抜けていく百さんのその後を追う。いつも綺麗に整えられている部屋だった。ハウスキーパーも雇わずにあの多忙さでここまで整った部屋を保てるなら相当な綺麗好きなのだろう。ズボラだと自称していたがそうでもないらしい。
「今日は時間なかったから昨日の夜のうちに作っちゃったんだよね」
「わざわざありがとうございます。時間がないならデリバリーでもよかったのに」
「いや、虎於に適当なもん食べさせらんないよねえなんか……」
「この家で適当なものが出てきた覚えはないが……しかし、料理は苦手じゃなかったか? テレビで言ってたのを聞いたことがある」
 うーんと百さんは冷蔵庫から取り出したメインを並べながら首を傾げる。視線が曖昧に逃げていくのを眺めながら取り皿とカトラリーをテーブルに運ぶ。
「まあテレビ用にオーバーにしてるところもあるよねえ」
「そうなのか……Re:valeも大変なんだな」
「え?」
「千さんとキャラが被るからだろう。だからそういうことにしてるんじゃないのか?」
「あーうんそうそうそういうこと……ほんと虎於の慧眼には敵わないなあ」
 にっこり微笑んでワインを開けた百さんは俺のグラスに先に注いでくれた。抑え気味にされている照明が液体に艶々と反射して美しく満ちる。
「一ヶ月おめでとう」
「……おめでとうございます」
「んふふ。いつ言うかそわそわしてたでしょ? 虎於」
「ああ。……だからわざわざ準備してくれたんですか?」
「もっちろん。結構奮闘しちゃった」
「嬉しいんだな、こういうのって。いつもしてやる側だったから」
「あーっモテアピールだ。せっかくの晩餐なのに」
「新鮮だから忘れないってことです。ほら、乾杯しよう」
「ん。乾杯」
 照れたように目を伏せる瞬間を最近はよく捉える気がする。惚れるとはこういうことだったのか、と毎日更新される感情がまた、グラス同士がぶつかると同時に弾ける。

 お風呂沸かしてくるとソファでテレビを眺めていた百さんは立ち上がって背中を向ける。深夜帯に差し掛かりつつあるバラエティ番組もCMに差し掛かって携帯を取り出したときだった。
「うわあッ」
「えっ」
 とんでもない物音が部屋中を一瞬震わせて、静寂が余計にさっきの衝撃を際立たせる。大丈夫かと声をかけたが返事がなくてさすがに腰を上げた。
「いや待って大丈夫大丈夫だから来なくていいよ!」
「絶対に大丈夫じゃなさそうなくぐもり方をしているが……」
「やだ! だめ! 来ないで! 割とマジで!」
「うわっ」
「うわ〜……」
 箱やら服やら、よくわからないが大量の物の雪崩に包まれている恋人の姿がそこにはあって、目の前の棚は完全な容量オーバーを目の前の彼に告げていた。
「虎於、自分の記憶消す能力とかある?」
「あるわけないだろう」
「あるわけないか〜じゃあオレ山で修行して身につけてくるからそれまでこの件には触れないでくれない?」
「怪我はないか?」
「触れないでって言ったとこなのに」
 腹にのしかかっている巨大な段ボール箱が彼が起き上がれない原因らしい。腰を入れて持ち上げたら百さんが拗ねたように唇を曲げる。大丈夫かと隣にしゃがみ込む。大丈夫ですと百さんは膝を抱えてしまった。
「蛙化回避チャレンジ、失敗かあ〜……」
「蛙? 蛙がなんだ」
「あ、知らない? なら知らないまんまでいて。……あの、言い訳いいですか」
「ああ」
「ちょっと前にプレゼント、買ってたのね。でもどこにしまったか全然思い出せなくって。探してたんだけど〜……そしたらこうなっちゃいました」
「一緒に探したらいい。二人で探すほうが早いだろ」
「あーやだ今優しくしないで。まだもういっこあんの、オレの懺悔」
 小さくなった身体が支えを求めるようにもたれかかってくる。ゴミなのかなんなのかわからないものにふたりで埋まりながら、その身を受け止めた。百さんの背中は冬でもやけに温かい。
「料理もほんとはマッジで、わかんない。ほとんどしたことない」
「誰かに作らせてたのか?」
「いや、作ったのはオレ、だけど、9割ユキ監修でした……見て、指も切った」
 絆創膏の巻かれた親指を掲げると、いよいよ顔を見られたくないと告げるようにそのまま胸に飛び込んできた。
「俺も手を切ったことがある。結構痛かっただろう」
「いや、オレは慣れてるっていうか」
「はは、そうか。なら、百さんと一緒に俺も慣れたい」
「ちょっとやだ今彼氏しないでよ〜……」
「泣いてるのか?」
「ほんとは。いざという時はカッコよくしたかったし虎於のこと甘やかしたかったの」
 薄暗くても鼻を赤くしてるのがわかる。自然と撫で下ろしていた髪はワックスの硬い感触がして、百さんの感触として手に染み付いていくのだろう。これからはもっと。
「一緒に探して、一緒に慣れてくれるの?」
「当たり前だろう。俺に付き合えないことはないからな」
「そっか」
 ぎこちなくそれでも彼は笑った。頬を撫で返されて、絆創膏の感触がつるりと残る。
ないない