どんなストーリーも連れていくよ
02

 しばらくまともに帰ることもなくなるのだろうと思うと、はじめに足が向いたのはその地だった。
「久しぶり! なんか怪我したって聞いたけど大丈夫かよ?」
 電話をかけたのは高校を卒業して以来だったのに、いつかのように彼は快く応じた。余計な靄の含まれていない明朗な軽さに救われかける。親しい人間の沈痛な面持ちをこの数週間で嫌というほど見たからだろう。その筆頭には、もちろんあいつの顔が浮かんでいる。これからはもう何処で何をしているのか知る由もないあいつが。
「大丈夫大丈夫。悪いんだけど、今地元に帰ってて。一晩だけでも泊めてくれたら超ありがたいんだけど……やっぱり難しいよな?」
「今日? 別に良いけど、場所覚えてる?」
「あー……ごめん」
「迎えに行くわ! 俺もお前と会いたかったんだよ」
 夢ある話に飢えててさあ、春から社会人だぜ、ヤバくない? と冗談めかした声に同じ種類の笑いで返す。乾いてしまっていないだろうかとわずかに案じた。どこまでも海と砂浜が広がっているような見慣れた景色の中で、虚しくなるほど小さなことを。
 夢も希望も未来も成功も余すところなく押し流されてしまった自分は、それら全てを掴みかけていた頃の表情をできるのだろうか。

 寝慣れない寝具の中で降り立った砂浜と西陽の眩しさを思い出していた。ワンルームの部屋には時計の音がやたら大きく響いている。寝返りを打って神経を澄ませば友人の寝息もベットの上からよく聞こえた。
 不意に目が覚めてしまった闇の中で、柄にもなく撮ってしまった写真を手持ち無沙汰に眺め返す。空いた穴の内側の皮膚はまだ肉を削がれたことにも気付かず、風だけを通してただ呆然としている。衝撃がほどこした麻痺が切れて痛み出すのはきっとこれからだった。
 あまりにもしつこすぎて着拒をかけたあいつの番号をリストから呼び出していた。深夜三時二十五分の文字列を眺めながら、なんとなく──解除してみる。
 五分もしないうちに震え出すから笑ってしまった。嘲笑のような響きを孕んだその声が向いた先は着信元のこいつではない。
 低く強い振動を漏らすそれにしばし耳を傾けていた。千、と表示されている端末の光をそうして見つめていた。秒針の音も寝息も、自分を現実と繋げていたものが途端に薄れる。
 万、と俺を呼ぶ声が、だから鮮明に耳に蘇る。今はアパートにまだいるのだろうか。まだ受け止め切れていない頃だろうか。確かめる方法なら今この瞬間も手のひらの中で煌々と光っている。
 鼓動がやたら大きく響く。それは捨てると決めて実際に捨てて、それでもそれがどういうことなのか本当には理解していない戸惑いの音に他なくて、追い詰められたような気分で電源を落とす。
 数十秒ぶりの静寂が心にひどく優しかった。
 もう一度電源をつける勇気なんて出るわけがなかった。捨てようと、目を閉じてまた決めている。この部屋を出た頃にもう一度。朝陽がそうして頭の先からつま先の先まで照らす頃に、すべてをここに置き去りにしよう。
ないない